沖縄平和行進への韓国訪問団同行記
かもめ(日韓ネット事務局)
5月15日、那覇空港は既に雨が降っていた。昨日梅雨入りしたとのこと。それでも「ゆいレール(モノレール)」に乗っているうち雨は止んで、会場の県立美術館博物館にゴロゴロとスーツケースをころがして行くときは何とか濡れずに済んだ。
到着すると既に「沖韓民衆連帯」の懐かしい顔が…。準備は始まっていた。それは「第6回東アジア米軍基地、環境・平和国際シンポジウム」が夕方6時から開催するため。
今回韓国からは済州島カンジョン(江汀)村で海軍新基地建設に反対する人たち2人、拡張工事が始まっているピョンテク(平沢)で、米軍の監視活動や住民の相談活動を行っている平沢平和センターから2人、米軍基地のある群山から1人、今年「停戦協定を平和協定に」と運動している「戦争反対平和実現国民行動」から2人、合計7人が参加した。
シンポジウムでは「東アジア米軍の最新動向」(沖縄国際大学法学部教授の佐藤学さん)、「オスプレイ配備撤回、辺野古新基地建設を断念させよう!」(名護・ヘリ基地反対協の安次富浩さん)、「韓国米軍基地の実態(2011年~2013年)」(韓国基地平和ネットワーク・群山から来たク・チュンソさん)、「済州島を非武装平和の島にしよう」(「開拓者たち」のソン・ガンホさん)が発表した。下記の写真はその時の様子。
翌日、韓国訪問団は沖縄の平和資料館や沖縄戦で犠牲になった韓国人の碑などをめぐった。
今回初めて来沖した韓国メンバーは、沖縄戦の悲惨さや現在も続く苦しみと闘いの続く様子などに胸を打たれたようだった。朝はおにぎりやカップラーメンで済ませ、昼は弁当などでしのいだ彼らは毎晩キチンと反省会を行い、回った場所や発言を確認していた。その日の記録係などを決めて、確認作業を行っていたのは本当にビックリした。一方で沖縄の文化にも触れ、スコールにも目を見張っていた。
上は韓国の仲間がインターネットにアップした公設市場の沖縄のぐるくんなどの魚の写真。するとすぐに書き込みがあったとのこと。「目立たせようと思って、誰が魚にペイントしたの?」。
韓国メンバーは5月17日から辺野古の浜から始まった平和大行進東コースに参加した。
彼らは慣れない日本語のシュプレヒコールに戸惑っていたが、韓国式の4拍子スローガンや「ニムのための行進曲」を歌ったりと、元気に歩いて行った。さすが活動家、日本語のシュプレヒコールもすぐに覚えて「辺野古の海を守ろう!ジュゴンの海を守ろう!」などと声を上げていた。
実はこれらの写真は、韓国メンバーがせっせと書いてリアルタイムでアップした写真を拝借したものなのだが、その文章には「私たちは目が合っただけでお互いの心が通いあった!」と書いてある。
下記の写真は高江のゲート前で監視活動を行っている人たちと一緒に撮った写真だ。韓国からしっかり横断幕も作ってきて現場でカンパを添えて手渡した。済州島でもボートを出しての闘い、平沢での大きな弾圧、沖縄のことは他人事とは思えなかったはず。
韓国のメンバーがショックを受けたチビチリガマ。
朝鮮戦争での民間人虐殺のことを知っている彼らは、とても胸を痛めていた。この後回った「佐喜真美術館」で丸木夫妻の「沖縄の図」を見たり、その説明を聞いたりして、その思いを強くした。
韓国メンバーは平和行進の間に沖韓民衆連帯の仲間の案内で、普天間基地や嘉手納基地なども見て回った。
また、ちょうど行われていた元日本軍「慰安婦」ハルモニのキム・ポクトンさんとの交流集会にも参加、挺対協のユン・ミヒャンさんや同行し通訳を務めたヤン・ノジャさんとも再会した。
こちらの集会でも朝鮮半島の平和を訴え、「平和の木」運動を行っていた。これは葉っぱの形をしたポステックに平和のメッセージを書いて、木に貼り付け、平和の木にするもの。この木をあちこちで作って7月27日、朝鮮戦争停戦日にイムジン閣の周りで「平和の森」にしようとするとのこと。会場の沖縄キリスト教学院大の女子学生が平和のメッセージを書いて貼っていた。
下記は平和行進の最終日に撮った写真。このときまで天気は良かったのに…。
県民大会の会場に着いた頃に曇り始めた空、急に雨が降ってきたかと思うと、横殴りのドシャ降りが叩きつけるようだ。傘もレインコートも用を成さない。元気にアピールした韓国メンバーもずぶ濡れになりながら、一緒に覚えたシュプレヒコールを上げた。
米軍基地はいらない!沖縄から米軍は出ていけ!韓国から米軍は出ていけ!アジアから米軍は出ていけ!No Base!No War!
何度も何度も聞いて、叫んで、今でも耳鳴りのように聞こえてくる。
それにしても感謝、感謝は「沖韓民衆連帯」の皆さんの頑張りだ。献身的に沖縄を伝えるべく奮闘していた。この場を借りてお礼を申し上げたい。本当にお疲れ様でした!
(2013年5月28日記)